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2024年03月29日
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甘えること

2010年01月11日
人に甘えることはよくない事だと思ってた。

「甘えるな!」と言って怒るということは、甘える事=怒る対象なのだから。

子供の頃から「甘え=よくない事」としてとらえていて、何でもひとりで出来ることがいい事だと刷り込まれてた。

甘え過ぎは自立心が無い。

でも…当たり前だけど、人は完璧じゃないんだから

人を頼る事があってもいいと思う。

何でもひとりで出来るなんて、完璧な人はいない。

少しくらい人を頼って、甘える時があっても許されると思う。

許されて欲しいと思う。

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死って

2008年07月04日
「死」ってすごく負のイメージが一般的。

終わりであって、それ以上の先、上昇がないからだろう。

でも、この世に「絶対」なんて思うけど、「死」だけは何故か絶対的な存在に感じる。

すごく魅力的でもある。

人は魅せられるよね。

引き付けられているのかもしれない。

命じゃない死

2008年06月13日
人は、忘れられた時に消える。

誰の記憶にもなくなったときに消滅する。

遺伝子という情報さえのこっていなければ。

この世に生きた証の消失。

この世界に、何の証も残っていないとき。

人はもう一度死ぬってそういうこと。

でも歴史に流され、忘れられ、消えていくもの。

それが必然だからこそ、必死にもがくんだ。

正義

2007年11月23日
「正義」って言う人ほど信用できない気がする…。

正義を掲げるだけで、まるで普遍的かつ不変的なもののように思わせる。

そして何かを行う際には、正義を免罪符のように利用する。

正しいことって何?

分からないし、間違えない人なんていない。

自分が正しいと信じ込んでしまうことは恐ろしい。

正義はすべてに共通ではない、だから普遍ではない。

正義は歴史や立場によって変わる、だから不変ではない。

「正義」なんて無いんじゃないのか…。

言い訳のために作られた言葉だという気がしてくる。

過去

2007年09月02日
昔のものを大事に取っておく人もいれば、すぐに捨てられる人もいる。

本人が「捨てる気」になれば、その時が捨てる時なんだと思う。

それが早いか遅いかは人によって違うけど。

全てのものを残しておく事なんて出来ない、それは分かってる。

でも、自分の気持ちが片付かないうちに、人に捨てられてしまったら…?

悲しくて寂しくて、怒りさえこもる。



きっと、本当はそれほど寂しいものじゃないんだ。

いつまでも取って置けない分かっていたのだから。

自分の決心の付かないうちに捨てられてしまうと、驚きが大きいだけだ。

気持ちの整理をしてから捨てるのが一番いい。

捨てられてしまってから気持ちの整理をする方が辛くて大変。

本当に捨てたくない程大事なものは、自分でもっと大事にするべきなんだよ。

開始と終了

2007年03月30日
始まりがあれば終わりがあるということ。

無垢

2007年01月20日

生きること自体が無垢。


生命そのものが無垢だから。


 


生きようとするのは生き物として当然なことで、それが善か、悪か、なんて関係ない。


生きるために何かを犠牲にしていても、善悪の判断をするのは、同じ生き物である人間なんだから。


 


「生きるため」以外のことをするから人間は汚れてるって言われるんだろう。

人間観

2006年11月21日
現代の人間観を扱うことになった。



人間観って…もっと哲学書読まなきゃいけない気がする。

でも過去のまとめられた人間観じゃないんだよね。

今の人間観。

今、生きている、自分の人間観をさらけ出す必要がある。



自分の考えを言葉にしてさらけ出すのは、怯んでしまう…(>_<)

なんとか思いや考えを言葉にしていかなきゃ。

そこにある

2006年11月11日

例えば「美しい花」。


ただそこにある花を美しいと思う。


それは「美しい花」があったのではなくて、ただそこにある花を自分が「美しい」と思ったからだ。


「楽しい」も同じではないのか。


「楽しい」か否か、それを思うのは自分。


そこにある物事に「楽しみ」を見つけるのは自分次第。


 


では「善」と「悪」も…?


ある魂が無垢だと思うか、汚れていると思うかも人それぞれなのか?


「無垢な魂」や「汚れた魂」がそこにあるなんて言えるのか?

「生きたい」と「死にたくない」

2006年11月04日

「生きたい」と「死にたくない」。


この違い。


多分、今現在思うのはどちらかといえば「死にたくない」のだ。


それは「死」への恐怖、かつ、「生」である状態から変化してしまうことへの恐怖のためで。


まさに今死にそうになっているときなど、恐怖が大きいほど「生きたい」より「死にたくない」気持ちが大きくなる。


死への恐怖をもっている人が、死後の世界を考えれば恐怖になる。


死にそうな状況でも、死ではなく生きている世界のことを考えれば「生きたい」という考えにつながりそうだ。


死ぬ時が分かったとき、生きている世界を考えたとき、「もっとこう生きたかった」などと思うのだろう。


そこで「生きたい」という思いになる。


多分。


目的を持っているときはっきりと「生きたい」と思えるのかもしれない。


いつも「生きたい」と思えるようになれたらいいな。

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